【歴史】元寇って一体何だったんだろうな
中学受験の時に習った歴史が日々修正されつつある。
代表的なものとして、鎌倉幕府が開かれたのが1192(いいくに)ではなく、1185(いいやご)になってしまったりとだ。
正しい事実に置き換わっていくのは大変素晴らしいのだが、その度に覚えなおさなければならないのは少々億劫である。
さて。今回はその中でも私的にとびきりミステリアスになってしまった「元寇」の話をしようと思う。
まず、当時習った元寇の内容について
ざっくりいうとこんな感じだ。塾によって違ったかもしれないが。
フ「ねえ?従ってくれない?兵は出したくないんだけど」←こんな感じ
・日本は単騎戦法だったが、集団戦法を取る元軍に超苦戦
・てつはうとかいう爆発するやつを投げられる
・圧倒的不利だったが、二回とも台風が直撃し、占領下の高麗国で造られた船は粗製乱造されたものだったので、殆どが沈んだ(神風)
・侵略する側ではなく防衛戦だったため、御恩で与えられる土地などがあまりなく、結果として武士の不満が募り、鎌倉幕府衰退のきっかけとなった
どうだろう。大体こんな感じではないだろうか。
じゃあ、今の元寇はどうなっているの?
ざっくりいうとこんな感じだ。
・皇帝の名前がクビライ=カアンになっている。
まあこれは許容範囲だ。現地の発音に合わせたのだろう。
・日本も集団戦法を取っていた
おい竹崎。お前阿呆って言われているぞ。
・海底調査でてつはうが見つかったが、構造的に炸裂しなかった
じゃあどうやって使ったのさこれ。オーパーツだ。
・文永の役では台風は直撃しなかった
神風なんて無かったんや…。しかも、信長の野望ではやたら弱い事で有名な松浦氏や少弐氏の先祖が超がんばって戦ったらしい。神風にしてしまうと浮かばれない。
・弘安の役では確かに台風が直撃したが、無傷の艦隊も多数存在していた
じゃあ何で帰ったのさ。流石に防御施設も増えてたからかね。
・台風で沈まなかったのは高麗の船で、沈みまくったのは中国江南製だった
昔からこの手の丁寧さは韓国>中国ちゃんと真面目につくってたよ!
・日本侵略にクビライの家臣は消極的で、超賛成したのは高麗王
昔からあの国は敵対的ほぼ属国だったので、クビライの意向を汲んだと言われる。
・クビライは再三使者を送ったが、北条時宗が斬り殺しまくってる
昔から日本は外交下手今使者を斬るのは普通ご法度だ。
どうだろうか。何か色々新事実が明らかになり、ミステリアスさが増したのではないだろうか。
興味があったらグーグル先生で調べてみるといいかもしれない。